365日前にいる

ぼくたちは千年前の人としてちゃんと進化の過程を歩く2017年8月6日(日)

 

夏らしく至る所で剪定作業を見かけます。街路樹もお金持ちの家の生け垣も学校や公園の木々も散髪したての角刈りです。涼やかにスリムになった日陰を映しています。

 

 

公園に置いた自転車に狩られた草木のつぶつぶがたくさん付いているのを見て、去年の夏も公園に置いた自転車に狩られた草木のつぶつぶがたくさん付いていたのを思い出します。

 

 

365日かけてまた365日前の景色を目の前にして覚えるのは、漕いでる割には進まないスワンボートの徒労感…。今更この徒労に凹んでも仕方がないのでサドルについたつぶつぶを手で払いのけて帰り道、セブンイレブンで牛乳とお茶とチーズとパンを買うつもりが、お茶を買い忘れたのを帰宅してから気づいてしまう。

 

 

何かを忘れていることには気づいているのに、何を忘れているのかわからないことが良くあります。お茶や洗濯洗剤などの日用品の買い忘れならまだしも、お金や仕事のことなど、その日その時だけの取り返せない約束をすっぽかしては明日を生きれないので過剰に意識していると何もないのに何かを忘れている気がして焦ります。

 

 

頭のなかの情報が増えるほど枝分かれしていく選択肢、不要な枝葉まで気を配るあまり肝心の実をぽろぽろ見落としているのに気づいていません。何を選んで何を切り落とすのか、それをもう少し見極められたらもう少し成長を実感できるはずなのに。こればかりは長い目で見るしかないようです。

 

 

投稿者 片塩 宏朗

お読み頂きありがとうございました。コピーライターをしています。好きなランニングと短歌について時々書きます。フルマラソン:3時間15分28秒、ハーフマラソン:1時間27分59秒、シューズはasicsです。

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