プロフィールの職業を「主にコピーライター」としているのは、たまたまコピーライターとしての収入が他の仕事に比べてやや多いからです。それがもしデザインであればデザイナーに、キャップが売れたら帽子屋さんに、お米が売れたら農業になります。定職というものを持っていないと、そうなります。
やりたいことは特にないのに、やりたくないことは山ほどある僕みたいな人は、いつも逃げ道ばかり選んでいますから、その代償としての不安定な生活ならば受け入れるしかありません。ただ最近は、昔なら逃げ切れていた「やりたくないこと」からも、肩書きやしがらみ、そして体力の衰えもあってか、逃げ切れないケースがぐっと増えてきました。
今年の1月から、今まで経験したことがない、どちらかというと不得意な業種に身を置くことになりました。それも新卒の新入社員みたいな扱いで、それでいて、その会社の誰よりもすごくおじさんです。周回遅れのオールドルーキーは、手先が痺れるくらいに気まずいです。
その業種では、スーツを着ることがありますし、朝の満員電車に乗ることもあります。そーゆーのが25歳で嫌になって、ここまで逃走してきたはずなのに…。打ち合わせに半ズボンも履けずにキャップも被れない世界、月朝のランニングもできません、定例会がありますから。一着しかないスーツと2本しかないネクタイで僕はどこまで粘れるのでしょうか。
未経験の新人だから、当然ながら何の役にも立ちません。そして新人なのにおじさんだから、手取り足取り指導して貰えるわけではありません。未経験なのに即戦力を求められる歪な立場に立たされています。働き過ぎは体に良くないとは言いますが、働かな過ぎは心に良くないです。人は誰かに必要とされてこそ、人としての輪郭を保てるのですね。今日も何一つお役に立てず、ただ立ち尽くし、時が過ぎるのを待つばかりの生物でした。居場所のない場所でひとり食う弁当の味、覚えていません。
でも、大丈夫。こうした事態は、流浪の人生をしていればたびたび訪れますので、慣れているといえば慣れています。このブログでも何度も取り上げていますが、あの欽ちゃんもこう話されています。
したくない仕事しか来ないんです。でも、運は、そこにしかない。
『視聴率100%男』の異名を取り、華やかな世界で散々売れた欽ちゃんがそういうのであれば間違いないです。居場所のない場所にしかない運を拾い集めて、何年か後にいつものセリフを言い放つだけです、「あの時があるから、今がある」。その今へと繋がる逃げ道をあきらめずに走り続けるだけです。