かつてなく最高の主人公、現る!
「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」。幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。コロナ禍に閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。
誕生日(8月16日)プレゼントにその年の本屋大賞受賞作をいただくのが我が家の慣わしとなっていますので、例年その本を読み終わるまでが夏になります。今年は『成瀬は天下を取りにいく』でした。本屋大賞受賞作品と言えば湿り気の強いテーマも多く、読み進めるのに苦労した記憶もありますが、今回はタイトルからしてカラッと軽い、しかもソフトカバーで手に優しい。息苦しさを感じることなく読書を楽しめそうな予感です。
『成瀬は天下を取りにいく』は滋賀県の大津市を舞台とした青春小説。物語は主人公の成瀬あかり(中2〜高3)の生き様を、彼女を取り巻く人たちの視点で描かれています。200歳まで生きることを将来の夢と公言し、人目を気にせず、損得勘定もせず、自身の目的遂行のために最短距離の発想で挑戦を続ける成瀬あかりの姿に、西田ひかるの通算26枚目のシングル曲『私は私』を思い起こさずにはいられません。そしてまた、何かと他人の評価を気にしてしまいがちな一億総批評家時代に背を向けるかのように自らの信念を貫き通すザッツ痛快青春エンタテインメントは、宗田理のぼくらシリーズを彷彿とさせなくもないのです。
青春小説と言っても汗の匂いが漂うポカリスウェットの世界ではないですし、ドギツい色した外国の駄菓子のようなものでもありません。一般的な青春物語に比べ甘さ90%OFFなので年齢を気にせずサクサク読めますし、成瀬あかりもスーパーな存在ではなく、ただの変わり者として日常の枠内で描かれていますので、興ざめすることもありません。現実と非現実の絶妙なバランス感覚こそが、この作品の面白さです。最後のページを読み終えた後は、「そんなわけない」と頭では理解していながらも閉店した西武大津店から膳所駅(ぜぜえき)に向かってときめき坂をふらっと歩けば成瀬に会えるかもしれない?と錯覚してしまうはずです。
そんな魅力的なキャラクターを自治体が放っておくわけもなく、既にびわ湖大津観光大使として地元のPR活動に駆り出されていました。この勢いたるや滋賀県知事もなくはない、滋賀の英雄、西川貴教に強力なライバル出現です。これまでアイドルやアニメが担っていた地域おこしプロモーションに新たに小説が加わりました。今後は第二の成瀬、第二の閉店物語が各地に勃発するかもしれません。全国に残存するイトーヨーカドーに俄然注目です。
こうなると気になるのが成瀬の行く末ですが、続編『成瀬は信じた道をいく』が既に発売されておりました。コロナ禍を経て、円の価値が下がり、税金が上がり、馴染みのお店が閉店する、どうにもならない重苦しい空気を吸い続けなければならない今、四六時中お日様を頭上に掲げているような成瀬の影のない思考と言動は渇望され続ける気がします。重苦しさに飽き飽きしている方には是非おすすめしたい一冊です。