あけましておめでとうございます。
今年の元日も朝から大好きな雑煮と黒豆を食べて、ニューイヤー駅伝を見てから近所の小さな神社に初詣に出かけるという、もう何年もルーティン化している元日の過ごし方を過ごせました。あと何年この穏やかな元日を過ごせるというのでしょうか、おめでたさよりもありがたさの方が先にきてしまいます。
昨年は破竹の勢いで老眼が進行したため、コンタクトレンズからメガネへと15年ぶりに先祖返りしました。コンタクトをしたままの矯正視力では手元が見えないため苦肉の策です。昔からおじさんがメガネを上げ下げしている姿を目にしていましたが、そのおじさんムーブを自分がやるはめになりました。あのムーブは老眼がさせていたのですね、合点です。
遠くが見えると近くが見えない、近くが見えると遠くが見えない。まるで人生訓に通ずるかのような教えを老眼から学んだ気がしました。おじさんになると夢や目標の類を見失いがちですし、一方で身近な愛に気付けないで感謝の気持ちを忘れてしまうこともあります。そのことに感づけないおじさんは、やがて老害へと変異してしまうのでしょう。若い頃にナイスガイと呼ばれていたとしてもです。
害なく老いようものならば、そこはナイス老ガイとして若者から煙たがられることもありません。ありがたいことに手本とすべき人生の先輩方はたくさんおられます。たとえば糸井重里さん。昨年は糸井さんが「ほぼ日」内で毎日書かれているエッセイ「今日のダーリン」を読むのを日課として毎日を過ごしていました。
このエッセイ、1998年6月6日の創刊以来、26年間一日も欠かしたことがないそうです。多くの仕事を抱える中で、人だから風邪もひくし怪我もする、震災もあればコロナも流行る、家庭の都合だってある、海外行ったら時差もある。そんな中で1日も休まず書き続けている糸井さん、とんでもない偉業です。毎日読むだけでも大変なのに。
昨年は読むことを日課としましたが、今年は一歩進んで自分も日記を書いてみることを日課にしてみたいと思います。学びは真似ることから、どんなことでもまずは書く、ナイス老ガイになるための一年をはじめます。
今年もよろしくお願いします。