秘密だったもの

思い出が臓器に届くまで待つの痛みに耐えるのはそれから2017年8月16日(水)

 

今日は誕生日だからお墓参りの帰りに自分の誕生日ケーキを買いました。生クリームにローソクを立ててお気楽に誕生日を祝う自分も何年か後にはお墓の中に居て、やがて知らない人たちに参られる側になります。

 

 

莫大な遺産でも残して子孫らに慕われる先祖としてお盆を迎えるのが夢です。が、この調子では“ご先祖様”とひと括りにされて手を合わせられるのが関の山。

 

 

お仏壇にラインナップされたご先祖様の遺影を眺めてみると、二〜三世代前はもう写真と言うより肖像画の出で立ちです。みなさん引き締まった表情をされているわりには虚ろな目でこちらを見ている。不思議とどちらの方も自分に似ていません。

 

 

歴史の教科書を彩る偉人や革命家でもなければ後世にその名を遺すことは難しい時代にあって、お仏壇やお墓はご先祖様たちが生きた証を伝える貴重なツールです。そしてもうひとつ、自分の身体に受け継がれたこの遺伝子も。

 

 

そんな閉ざされた仏間にしか残せなかった足跡が当人を離れ、今はどこまでも独り歩きしていくインターネットのある世界。

 

 

墓場まで持参するつもりだった秘密も、ともすればサーバーに埋葬され世界中の目に晒されることもなくはないです。昔、誰と付き合っていたとか、今まさに誰と不倫しているかなんて不利益にしかならない秘密がニュースに形を変えて日々埋葬されています。

 

 

でも、インターネットがたくさんの秘密が眠る墓地だとすれば、お盆ですし、かつての秘密を偲ぶ為にお墓参りするのも一興だと思います。検索窓に手を合わせたい人の名前を入れて、その後に生じる痛みは自己責任で。

 

 

 

投稿者 片塩 宏朗

お読み頂きありがとうございました。コピーライターをしています。好きなランニングと短歌について時々書きます。フルマラソン:3時間15分28秒、ハーフマラソン:1時間27分59秒、シューズはasicsです。

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