鈍色のモニター

徒歩五分それでも君の鈍色(にびいろ)の瞳に無限は姿を見せる2017年9月13日(水)

 

その街でいちばん大きな病院に入院したら、寝転んだベッドから見える景色のちょっとした”ズレ”も見逃さないし、医者や看護師さんの言葉尻に些細な希望を見出して、どうにかその日一日を前向きに締めくくろうと思う。その為に、ブラインドとカーテンはできるだけ開けっ放しにするつもりだ。時間の流れに正しくならないといけない。

 

 

 

コンビニのそれのように天高く伸びる看板がぐるぐると回転しているハンバーグレストランは夜の10時に回転が止まって、11時には店の灯りが落ちる。そして次の朝、11時になるとまた回転を始める。ふいに止まっているようにも見えれば、いつもより高速で回っているようにも見える。ハンバーグレストランの向かいには、この病院と駅を結ぶバス停がある。ちょうど今、大きな紙袋を両手に下げた見舞い客らしい老夫婦がバスに乗り込もうとしている。窓を開けるとまだ夏の匂いをさせた風が吹き抜けて行く。ここに来て三日目の朝、はじめての青い空。二人を乗せたバスはもう見えなくなっていた。

 

 

8時の朝食と12時の昼食の間隔が短いせいで、18時の夕食までがとても長い。おかげで15時にはちゃんとおやつが運ばれてくる。いかにも給食に出されるような小ぶりなカップに入れられたブルーベリーソース入りレアチーズムースが今のところ最も美味しかった食べ物だ。それでも蓋を舐めるほどではないけど。残念ながら今日はしょうゆ煎餅と野菜ジュースだった。

 

 

“きっと治りますよね?”

 

 

“先生は頑張ってくれますよ”

 

 

何往復やりとりしたって、クセのある表現ばかりで欲しい言葉は返って来ない。そればかりか検査をする度にきちんと知らされる“最悪のケース”に少しずつ貯めていた希望はたちまちご破算となる。だから検査結果が記された紙は抽斗にしまっている、目に入らないように、しょうゆ煎餅と一緒に。

 

 

病室ではWi-Fiが使えないおかげで契約している5GBのデータ量を三日で使い切ってしまった。これでもう唯一の娯楽だったYouTubeは見れない上に、Yahoo!ニュースでさえ開く途中でフリーズしてしまう。ただの電話になってしまったスマホに用はない。スマホを充電器に差し込むと思い出したように喉が渇いたので病棟の入口近くにある「食堂」まで歩くことにした、自動販売機はそこにしかないから。

 

 

緑茶を買うついでに向日葵の写真がプリントされたテレビカードを1,000円で買った。昔の旅館じゃあるまいし、テレビくらい無料にして欲しいものだけど。点滴を引き連れてたらたら歩いたせいか病室に戻ると日は少し翳り出し夜の準備を始めていた。夕方のローカルニュースの時間、テレビは市内の老人クラブが一同に介し盛大に運動会を開催したことを告げている。長生きの秘訣は「よくしゃべること」だそうだ。19時になるとニュースも終わり、テレビを消した。

 

 

左手の甲から伸びるチューブの先につけられた点滴の輸液ポンプが規則正しく息をして、救急車のサイレンは昼夜を問わず忙しく鳴く。それがこの病室に充満しているいつもの音。

 

 

“コンコン”

 

 

21時を前に、点滴を夜間モードに変えるタイミングで夜勤の看護師さんが挨拶にみえた。「夜担当の大崎です、今日は眠れそうですか?」鼻までマスクに覆われたおかげで大きな瞳がすこぶる強調されて眠れそうにない。真っ白な手でしなやかに付け替えられた新しい点滴袋もパンパンに膨らんでいる。「おやすみなさい、何かあれば呼んでください」大崎さんが去ってからも大崎さんの匂いはなかなか消えない。思いっきり深呼吸をして眠る努力から始めようと思う。

 

 

部屋中の全ての灯りを消して布団に足を投げ出せば、橙色に仄かに光り続けるナースコールのボタン。さっきまで明るかった廊下も闇に包まれ静けさを際立たせている。体の奥の方から小さな子供の泣き声が微かに聴こえた気がした。

 

 

この病室は五階にある。逃げ出すならまずは小豆色した古く大きなエレベーターに乗らなければならない。一階に着くとすぐ左手に外来用の大きな受付があって、昼間なら老若男女すごい人でごった返しているはずだ。反対に右手を真っ直ぐに100mほど進めば北口に出る。そこには救急車の搬送口と第一駐車場が広がっている。

 

 

三日前、この病院へは車を運転して来た。日差しがきつくて暑い日だったってこと以外はあまり覚えていないけど、自分がここにいると言うことは、その駐車場には今も車が停められているはずだ。日常に帰る為の道具、中古のトヨタアクシオが。記憶はそこから急に曖昧になり更に眠気が邪魔をしにやってきた。ハンバーグレストランの看板はとうに回転をやめていた。

 

 

 

その目が閉じられたことを鈍色(にびいろ)に光るモニターで確認してから部屋を出る。ありきたりな今日が終わるだけだと言うのに体は充実感に満ちている。ここから五分もすれば第一駐車場に出る。いつもよりゆっくり歩いてみる、日常の裏側では時間が正しく流れているとは限らない。駐車場に吹く風はすっかり秋になっていた。

 

 

投稿者 片塩 宏朗

お読み頂きありがとうございました。コピーライターをしています。好きなランニングと短歌について時々書きます。フルマラソン:3時間15分28秒、ハーフマラソン:1時間27分59秒、シューズはasicsです。

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