2018年1月26日(金)

 

東京の大雪から三日。ほとんど消えて、日向なら自転車を使えるくらいになりました。降る量は地元長野とは比べ物にならない少なさですが、東京の家には膝下まで隠せる滑らないゴム長靴も-60℃まで耐えられる雪国ではお馴染みの黄色いゴム手袋もありません。なにより心の準備もないので東京の大雪も充分に不便でした。歩道に歩行者が渋滞して進まない、セブンイレブンにパンがない、物資が届かずに松屋は臨時休業していました。たった10cmで花の都大東京を混乱させるなんて。しかも今日なんかはチェーンで削れたアスファルトが粉塵となって目にきます。

 

 

毎日、掃除機をかけているのですが、毎日、掃除機をかけていたらそれまでは視界に入らなかった床の埃や米粒や髪の毛がくっきりと見えるようになったのです。それは毎日、掃除機をかけなければ果たせないごみ視力の向上です。無論、毎日、掃除機をかけない人は永遠に見ることないだろう景色と言えます。

 

 

普段、掃除をしない人は必ずこう言います。「掃除なんて汚れたらすればいい」と。でもそのような人は汚れを無視できる能力に長けていてごみ視力が低いものだからまず掃除をすることはありません。これは仕事にも当てはまる気がします。やれることが増えるとやれる仕事が増えていく。やらない人はいつまでもやるべきことが見えてこない。

 

 

誰からも褒められることはないのですが、きっと今日も明日も掃除機をかけるのですが、それがただの平凡な日常生活の一部だとしてもときどきそれを誰かに見て欲しくて認めて欲しい気持ちになります。大雪のあとなんかは特に。