春のぬけがら

2018年4月4日(水)

 

そろそろ東京の桜も終わりを迎えようとしています。90年代を席巻したアムラーが4〜5年で終息したのに対してサクラーは平安時代から1,000年以上も続いているこの国のスタイル。日本の歴史を彩るたくさんの偉い方々もみな桜の下で酒を飲み調子に乗って歌を吟じてきたのです。

 

 

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平/古今和歌集)

 

(訳:この世に桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに )

 

 

平安時代において既にカリスマな存在感を放つ桜です。さすがは「桜の下で場所を取る」が仕事になる国です。「桜の下で酒を飲む」がニュースになる国です。

 

 

そんな花見のニュースを見ていたら“桜の枝を折り曲げて記念撮影をする”非道な行為が取り上げられていました。残念ながら外国人観光客の所業です。そのニュースを見てぼくなんかは怒りを覚えるわけです。今までいちども「桜の枝を折ってはなりません」と教えられたことはありません、でも折りません。それはサクラーだからです。

 

 

今年もたくさんの桜を拝みました、そして綺麗だなあ綺麗だなあと唱えました。人々が桜の美しさに見慣れてきた頃合いで桜はその身を投げ出します。そして朽ち果てるまで地面に留まり布教活動に専念するのです。見上げ続けることに疲れた人たちへ、そっと希望を届けるように。

 

 

 

 

投稿者 片塩 宏朗

お読み頂きありがとうございました。コピーライターをしています。好きなランニングと短歌について時々書きます。フルマラソン:3時間15分28秒、ハーフマラソン:1時間27分59秒、シューズはasicsです。

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