2018年4月16日(月)
時間が経たないとわからないことが結構あるなと思うのです。飲み会の帰りにもよく感じる“後の祭り”ってやつです。
大学生の頃は文化人類学を学んでいました。文化人類学の守備範囲は「人間の生活様式全般」と広く、ひと言では説明できない曖昧さが良さです。
専攻したゼミの先生は北アフリカを主戦場とされた文化人類学の教授でした。フィールドワーク(現地調査)の為にチュニジアで暮らしておられた本物です。ハナマルキのTVCMでお馴染みのピラミッド芸人吉村作治先生ともお知り合い。ゆるふわのパーマに上品な語り口、いつもほんのり微笑んでいらしてなんともエレガントな女性です。どうして文化人類学を?どうして北アフリカ?そんな根本的な疑問をぶつけ忘れたまま今に至ります。
4年生の春、その先生のお宅にゼミ生全員でお邪魔するハードめのイベントが発生しました。
大学から各駅停車で5駅目の駅前にある巨大なマンションの一室が先生のお宅。そこでご馳走いただいたのが「クスクス」という料理なわけです。クスクスは北アフリカ発祥とされる現地ではお馴染みの郷土食のようで先生は自ら腕を奮い腹を空かせたぼくらに振る舞ってくれました。そのチュニジア直伝お手製の本場のクスクス、本場感が強過ぎるのか絶望的に美味しくないのです。
「これは大変なことになった、残さず食べれるのか。」
口に入れた時の第一感を昨日のことのように思い出します。ただ美味しくないだけならいいのです、えずいてしまうのです。そのクスクスは塩気がなく、素材本来の匂いだけが強烈でした。たとえるなら穀物、肉、野菜、をお湯で煮込んだもの。と言うのが近いと思います。
まわりも同じように思ってくれていれば気は楽でしたが、見渡す限り不味そうに食べている人はいません。
じぶんの舌がおかしいのか?
口は動きませんが頭は目まぐるしく動きます。万が一にも自分だけが食べ残すわけにはいきません。
その日は春先で肌寒いくらいの陽気でしたが、えずくのを堪えながら食べるもんだから汗が止まらないわけです。それがバレて「こいつ無理して食べてんな」って思われるのも恥ずかしいからトイレにエスケープせざるをえません。大丈夫です、人んちのトイレってだいたい綺麗です。人が来るってわかっていますから。
いよいよもうこれはどうしようもないと辿り着いた答えは、やっぱり塩です。
ただ闇雲に塩をくれ。と言うのも不審でしかないですよね?そこで利用したのがクスクスとともにお出し頂いた野菜サラダ。ぼくはマヨネーズでもドレッシングでもない、サラダには塩派の体で塩を貰いました。そうして時間と塩をたっぷりとかけてクスクスを完食したのです。
それがクスクスとぼくの出会いでした。今ではちょっとそれなりにお洒落したカフェにいくと置いてあるのです、クスクスが、結構な数。それを見るたびに「あ〜クスクスね、アフリカの」なんて知った顔します。そりゃ得意になります、こっちは本場の味のしないやつを知っているわけで。
先日、表参道にある地中海料理屋さん「CICADA」でお昼ご飯を食べました。あの採点基準の曖昧さに厳しい食べログで3.6点もらえるような人気とお洒落さを兼ね備えたお店です。地中海だけあってそこにもあるのですよ、クスクスが。で、久々に食べてみるとそれは笑けるくらいに美味しいわけです。
その美味しい日本バージョンのクスクスを食べ進めるほど、あの時の本場ージョンのクスクスのありがた味が心に広がる思いでした。“胸がいっぱいになる”ってやつです。
あのクスクスは机上では学べない本場に触れる為のフィールドワークってことです。当時のじぶんは残さず食べることしか頭になく、先生の優しさや振る舞われたクスクスの意味や美味しさに気づくには経験が足りなすぎました。できることならもう一度あの本場のクスクスが食べてみたいです。今ならその優しさにも素材本来の甘さにも気づくはずなんです。その上で堂々と塩くださいと言える人間になっているはずなんです。
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