2017年3月29日(水)
春になると思い出す人がそれなりにいます。その人の声が聞こえてしまうことを空耳と呼んでいいのかわかりませんが、春は聞こえるはずのない声を耳にします、病気でしょう。
そんな空耳も時間が経つにつれて正確さを失ってきました。交わした結果的に最後となってしまった言葉は、どんなだっただろう、どんな声だったろう。この調子でいつか完全に忘れる春が来るかもしれません。
ちょっと前なら永遠だったお別れもこのご時世は昔話で、今なら簡単にその人の足取りを追えます。WEBで検索すればいいのです。
でもそんなことをしてしまったら折角のラストシーンが台無しですし、パート2や3が面白かった映画はあまりないのでやめておきます。