2017年3月30日(木)

 

おしりの上にできたデキモノの手術を医者に薦められて絶望しています。絶望というのは大げさかもしれませんが何の前触れもなくやってきた「手術」の言葉にすっかり恐れおののいて、とりあえず逃げ続けています。あと何日逃げてやろうか…。

 

 

毎日は大小たくさんの希望と絶望の繰り返しで、一喜一憂が止まりません。

 

 

8時36分の急行電車に乗れば大切なプレゼン前に最終確認が出来てコーヒーを飲む余裕も生まれる、だからプレゼンもきっとうまく行く。そんな希望を持って深夜床につき、目覚めたら10時半だった時の絶望。

 

 

こんなしょうもない希望と絶望でも、あの瞬間のことは5年10年経っても忘れません。目覚めた時のカーテンの隙間から漏れる日の光の量とか、床に落ちていた埃がふわふわ舞う仕草とか、時間がスローモーションに歪んで五感がいつもより鋭くなる感覚。そしてその一部始終を幽体離脱した自分が見ているかのような錯覚。

 

 

大切な仕事をひとつ失いました。

 

 

 

絶望していると君は言う 

だが君は生きている 

絶望が終点ではないと 

君のいのちは知っているから  

絶望とは

裸の生の現実に傷つくこと

世界が錯綜する欲望の縄の目に

囚われていると納得すること

絶望からしか

本当の現実は見えない

本当の希望は生まれない

君はいま出発点に立っている

 

谷川俊太郎「絶望」    

 

 

希望と絶望に急かされて毎日が忙しいです。