2018年10月20日(土)
世代を分別する境界線のひとつにハロウィンもあると思うのです。かぼちゃと言えば「煮付け!」が旧世代で、「ハロウィン!」が新世代です。まだまだ旧世代が圧倒的に多い世の中のはずですが、街には怖い顔をしたかぼちゃが恐ろしいレベルで陳列されています。
この間もらったカントリーマアムにも煮付けではない方のかぼちゃが描かれていました。何年ぶりに食べたカントリーマアムは記憶の中のそれより小さくて甘すぎるような気がして少しセンチメンタルです。甘いものを食べて甘すぎると思うのはフルにおじさんですから。
その昔カントリーマアムと言えばちょっと上品ですごく美味しくて何より個包装で、闇雲に食べられるような代物ではないことは小学生の僕にもわかりました。うちの田舎ではご近所さんへ回覧板を持ってったり野菜をおすそ分けにしに行くだけでおやつが貰えたのですが、それがカントリーマアムだったときは一人前の子供として認められた気がしたものです。
田舎では子供におやつを与えるのが習慣ですから常時「トリック・オア・トリート」です。うちのばあちゃんもとりわけおやつを配るのが好きで、老人会で貰ったから、もうすぐ三時だから、学校帰りは腹減るだろ?とか色んな理由をつけておやつをちらつかせたものです。それは餅米を揚げたお手製のアラレとか硬すぎる煎餅とか黒飴とか寒天みたいなものに砂糖がまぶされたやつとか、子供にはとても地味に見えるものばかりでした。本当はねるねるねるねやビックリマンチョコやヨーグレットとかイケてるお菓子がいいのに。
なかでも黒飴は厄介でした。でかいし味も黒糖だし、その良さがわかるには幼すぎたし、でも貰わないわけにもいかないし。僕の勉強机の抽斗はビックリマンのシールと溶け出した黒飴で溢れていました。
脚を不自由にしてからも歩行器と気力でギリギリ歩けていたばあちゃんですが、ちょうど一年前にその歩行器から手を滑らせて転倒、骨折してしまいました。92歳でのそれはもう完全に寝たきりになるのを意味しているわけですが、入院先の医者からも92歳だから仕方ない、そんな態度で僅かな希望でさえも容赦なくかき消されてしまいます。
病院のベッドの上で気力も食欲もなくなり、やせ細るばあちゃんはただぼーっとするのが一日のほとんどで、僕がお見舞いに帰省したときは会話もままらない状態でした。
食べたいものある?と聞いてもないと言う、何なら食べれそう?と聞き直しても同じ。食べたら元気になるから、家に帰れるから、また歩けるようになるから、そんな嘘までついて机に並べたのはハーゲンダッツ、ピノ、野菜ジュース、ジョア、ポカリスエット、チップスター、ドーナツ、定価販売の病院の売店で必死のあまり僕はほとんど僕の好物を買ってしまったわけです。その中で一口食べてくれたのはハーゲンダッツの抹茶味でした。
あくる日のお見舞いは夕飯に差し支えないようにとおやつの時間にあわせて行ったのですが、机の上には昨日のお菓子やジュースがそのまま見事に並んでいるのです。そしてばあちゃんはか細い声で言うのです「好きなの持って帰れ」と。いらないと言えばまた「好きなの持って帰れ」と言われます。そんな不毛な押し問答が面会時間中続いてしまい、いよいよ根負けした僕は昨日自分が買ったチップスターを貰うのです。「ありがとう、これ好きなんだ」って。
その一部始終を母親は「ほら。そんなに買っても無駄だったでしょ?」とあきれた顔で見ています。でもまあ僕だってフルにおじさんだし、そんなことは最初から百も承知のつもりなんです。だけど一口でいいから食べて欲しい、一口の為にあとの全部が無駄になったっていい、そんな純愛小説みたいなおやつの買い方が僕のやり方であって、それを身をもって教えてくれた人こそが目の前のばあちゃんであることを僕は気づいていましたから。僕がばあちゃんにしてやりたいことは、その昔、ばあちゃんからしてもらったことばかりなのです。
ご近所の子供が回覧板を持ってきたり野菜をおすそ分けしに来てくれたら僕は迷わずおやつをあげてしまうでしょう、常時トリック・オア・トリートの精神はばあちゃんからしっかりと受け継がれています。そんなばあちゃんはそのお見舞いの4ヶ月後にようやく退院し、今ではご飯をちゃんと食べられるようになりました。