2020年1月7日(木)

 

夕方4時を過ぎれば窓の外は暗くなる、昼型の人にきついのが冬です。最近暗いニュースばかりだねー。なんて家の中でもやたらと暗さを実感してしまいます。

 

夜が長くなるおかげで何が起こるかと言うと、当然、夜道が長くなることだと思います。夜道の怖さが霊とかお化けに匹敵するレベルなのは、その怖さの原因が「見えなさ」にあるからだと思います。お化けも「見える人」ほど怖くないって言いますし。

 

思い返してみれば、埼玉県の川越市で暮らしていた20代前半の僕は夜道を恐れない人でした。深夜に誰もいない下水処理場の隣にあるような公園までひとりで散歩したり、人がいないことを良しとしてギターを練習したりもしてました。今はできません。怖いし、恥ずかしいし。

 

若気の至りとも言いますが、人生経験の浅さは時に武器です。昼間だって何も見えてない若者が夜の見えなさをいちいち怖がる必要がありません。歳を重ねてから初めて親に感謝の花束をプレゼントしたり、監督の平手打ちの意味がわかったりもしますが、若い頃は何かにつけて反発するだけです、舞台裏まで見えてないのですから。

 

そんな無敵さが鳴りを潜めるのはやはり30歳を過ぎたころでした。それまでは深夜2時くらいにランニングをしていたのですが、ある夜、道端にけっこうな数の犬のうんこが落ちていることに気がついたのです。そこからです、気づこうと思えば気づけることに気づいたのは。ランニングは朝にして、夜は家にいることにしました。

 

怖さはまた別の怖さを気づかせ、歳を追うごとに臆病になるわけで、大半の夜を家で過ごす毎日を送っている昨今ですが、先日とんでもない大渋滞に遭遇してしまいました。知らない土地の山あいの夜道で。まっ暗闇の中でテールランプの灯りだけが延々と続くロード第一章なシーンは、ナビを見たって今どこにいるのか、この先に何があるのかわからない怖さです。遠くにポツンと見える民家らしい小さな灯りが心細さを助長します。

 

トイレに行きたい、ガソリン入れたい、シャワー浴びたい、そんな目先の欲望だけを反芻すること2時間、リスクのそれほどない絶望を味わっていたところに見えたのが、コンビニの灯りでした。昼間では気が付かないレベルの明るさで、そこにあるわけです。その明るさこそ希望と呼ぶのに相応しいものなのかもしれません。明るいところばかりを好む僕はきっとたくさんの希望に気づいていないんだと思うと、時には夜のランニングも悪くない。家に着いたのは深夜1時、6時間かけてたどり着いたひとつの答えなのでした。