8月24日(水)
夏休みは夏休みらしいことをしなければならないような気がして焦ります。他の季節にはない焦燥感です。しかも夏はすぐに終わってしまいますので、うっかりしていると夏はもういません。夏が勝負所なのは受験生や野球少年だけではないということです。
夏休みの帰省では、車を運転するのも楽しみのひとつです。東京は車より自転車の方が早いですし、教習所のシミュレーター並みに危険な場面に出くわすので、当然ながら運転する機会も少なくなります。それに実家では車が無くてはコンビニにも行けませんので、何をしようにもまずは運転です。せっかく自然の中にいるのに運動不足になってしまうのが田舎暮らしあるあると言えばあるあるです。
最近の車はゲーセンのレースゲームとほとんど同じ要領で動かせてしまいます。ハンドルを握りながらアクセルとブレーキを適度に踏み続けるだけ、キーを刺すこともサイドブレーキを引くこともギヤを変えることもライトを点けたり消したりすることもなくなり、鉄の大塊を走らせるというリスクの割には、子供からお年寄りまで誰もが運転できる乗り物になりました。反面、便利機能が充実しすぎて使いこなせないのがもどかしい。それは観光地でいただく定食の多すぎる小鉢と全く同じもどかしさです。旅行だからこそ2,300円払うけど、こんなに小鉢いらないから1,500円くらいにしてよと思わざるをえないアレです。
その昔、腕に覚えがある方々は、俺なんて目を瞑ってでも運転できるぜ!と豪語したものですが、このままではマジで目を瞑っても運動できる時代が訪れます。運転はするものからしてもらうものになるわけです。AIに奪われるのは仕事だけではありません、奪われた能力と引き換えにぼくら人間がいただけるのは、有り余る自由と手持ち無沙汰な毎日です。
アクセルとブレーキの踏み間違えによる事故が後をたたないのは、便利すぎても良いことばかりじゃないぞ、踏みとどまれよということです。世の中、ストレスなくして行こうぜと叫ばれておりますが、ストレスをなくそうと思うことで溜まるストレスを見落としがちです。今、フリーにしておきたいものは、ストレスでも糖質でもない、増えすぎて手に負えない便利ではないでしょうか。
ただもうあの頃の不便な暮らしには戻りたくても戻れない。思えば遠くまできたものだと夏になるたびに思うのです。アクセルだけではたどり着けない場所があると思うのです。