2024年8月9日(金)
書きものをしている時に歌詞のある曲を聴きながら書けるほど優れた脳みそを持ち合わせていませんので、歌詞のない音楽を好んで聴いていることは、もう身近な方々には話してきたと思います。「普段どんな音楽を聴きますか?」と問われたときに「久石譲やクラシック音楽です」と答えているのもそれが理由の半分、もう半分はそう言ったらちょっとかっこいいかもしれないからです。
クラシック音楽は著作権フリーのため至るところで耳にする機会があります。かの有名な「ワルキューレの騎行」と言えば作者のワーグナー(ワグナーとも言う)よりも藤原喜明(組長とも言う)が頭に浮かびます。今から200年前に生きた人の作った曲を200年後の今、プロレスラーの入場曲にしたり、スーパーのBGMにしたり、TVCMで使用したり、ヒップホップでサンプリングされるなんて、いくら著作権がフリーとはいえ使い倒すにもほどがあります。
時を越えて支持されるものは、作品が素晴らしいと言えばそれまでですが、蓄音機、レコード、カセットテープ、CD、ストリーミング…時代や生活スタイルがぐいぐい変わったところで、人が本能的に良いと思うものは不変であると言うことです。人の取扱説明書って何百年もの間、ほとんど変わっていないんじゃないでしょうか。これは『鬼滅の刃 柱稽古編』でお館様が「永遠とは人の思いだ」と仰っていたことからもほぼ間違いないと思われます。
お盆なんかに久しぶりに会う親戚や友人に「変わってないねー」なんて言われるのも当然と言えば当然です。埼玉の大学を卒業して、東京の会社に就職して見るものすべてが新鮮だった頃は、進化が止まらないオレを自負していましたが、40歳も過ぎた頃から、見覚えのある景色を目にすることが増えるにつれて、同じところをぐるぐる回っているだけのオレに薄々勘づいています。
奮い立たせたい夜にはワルキューレの騎行を聴かずにはおれなくなったり、つまんない毎日を過ごしていると自覚した週末はナンシー関を読みたくなったり、給料日(ちょっといい日)にはとんかつを食べたくなるのも僕の取扱説明書にそう記されているからで、僕はそのとおりに生きているだけなのです。