誰でもなれるコピーライター
コピーライターは資格も免許もいらない職業だから名刺の肩書きにコピーライターと書けばなれると言われています。実際、僕も仕事を辞めて悶々と暮らしていたワンルームの部屋で唯一の資産といえる真っ白いibookでお手製の名刺を作りました。肩書きにコピーライターと入れて。
ただそれでコピーライターとして仕事が来るかと言えば、来ません。「名乗る」と「仕事が来る」の間に厳然として存在する深淵を埋める日々の始まりです。あきらめなければ夢は叶う!なんて軽はずみには言えません。叶う人もいれば、叶わない人もいる。大切なのは続け方です。
もともと人前で発表する演者よりも、それを支える裏方に魅力を感じていたので、大学生の頃は、博物館で働く学芸員になるつもりでいました。学芸員資格も取得しましたが、いざ就職活動をしてみると学芸員の募集をしている博物館なんて皆無。泣く泣く学芸員を諦め仕方なく小さな会社に就職してみたものの、今度は胸に燻り続けていた中学校の学校祭でキャッチコピーが採用された成功体験が再燃してしまい、その小さな会社を三年で退職してしまうのです。
新卒でもないのに職務経験もない、そんな自称コピーライターを採用する会社はありません。そして、コピーを書けない自称コピーライターに仕事を頼む人はもっといません。本格的に路頭に迷い始めた僕がまず取り組んだことと言えば本屋さんに通い広告関連の本を立ち読みしたり、失業保険の給付金で広告の専門誌『広告批評』を購入してひたすら読むことでした。
コピーの書き方以前に広告業界のことすら何も知らない僕に『広告批評』は多くのことを教えてくれました。広告はたくさんの人の力で作られていること、広告業界には有名なスタークリエーターがたくさんいること、広告業界には広告の賞がたくさんあること、誰もが知る有名な広告を手掛けているのはほとんど電通や博報堂であること。その華やかな世界に圧倒されつつも、「賞」「有名人」「電通」「博報堂」というキーワードが強烈にインプットされたのはこの時です。
『性格の暗い人はコピーライターに、性格の明るい人はCMプランナーに向いている』
この格言めいた言葉は本で読んだのか、はたまた人に聞いたのか記憶が定かではございませんが、四六時中ワンルームの部屋に篭り本を読み続けるだけの丸まった背中を押すには充分な言葉でした。そして、コピーライターとはこつこつと机に向かってコピーを書く、誰にも会わずにできる仕事なんだ!と勘違いをするキッカケになった言葉でもありました。その大きな間違いに気づいたのは随分と先のお話になります。
そうこうしているうちに失業保険も呆気なく底をつきましたので、友人(恩人とも言う)を介して小さなWEB制作会社に拾っていただく運びとなりました。
「名刺の肩書きはどうする?」
「コピーライターでお願いします!」
本の知識と暗い性格しか持ち合わせないまま、いとも簡単にコピーライター人生をスタートすることになりましたが、それは同時に早々にやってくる挫折を意味します。遠くない未来に肩書きからコピーライターが消えることになろうとは、真新しい名刺を手に浮かれている僕に気づけるはずもありません。
つづく