この夏の宝くじも不発に終わり、使いそびれた運を試しに「日本一の石ころタウン」を自称している新潟県の糸魚川市へヒスイ採集にでかけます。
糸魚川と言えば口に出したい地理用語「フォッサマグナ」の西縁に位置する街。近年はユネスコが提唱する「世界ジオパーク」の街として、そのバラエティに富んだ地質資源で名を馳せていますが、2016年の年の瀬に連日ニュースを賑わせた不運な火災も記憶に新しいところです。
そもそもヒスイって何?
ヒスイ(翡翠)と言えばこの美しい緑色と難しい漢字。読むことはできても、書いたことは一度もありません。もちろん見つけたこともありません。ヒスイは主に”蛇紋岩”から生成される宝石の一種で、プレートが重なり合う日本のような造山帯で生まれやすいそうです。よってその産出は世界的に見ても限られていて、日本ではこの糸魚川市や隣接する富山県が有名です。特に糸魚川では約5,000年前の縄文時代中期にヒスイの加工を始めたとされる世界最古の地。ヒスイと人間の関わり(ヒスイ文化)の発祥の場所とも言われています。
そんなヒスイの聖地に何万年の時を経てなおヒスイがころころ転がっているなんて夢みたいな売り文句に惹きつけられて糸魚川まで馳せ参じたわけですが、もちろんヒスイに関する予備知識はゼロ。運と欲望を頼りにヒスイ採集に挑戦です!
北陸自動車道糸魚川ICを降りてまもなく目的地のヒスイ海岸が見えてきます。そこは砂浜ならぬ石浜。見渡す限りの石ころを相手に先客たちがすでにヒスイ探しに励んでいます。先を越されては困りますので、はやる気持ちに身を任せヒスイ採集のスタートです。
まず驚いたのは美しさ、透明度の高い海水の中で玉石混交の石たちは身を寄せ合いながら互いに磨きをかけています。それはまるで宝石箱を覗いているかのよう、と言えば言い過ぎですが。ヒスイ拾いを初めてたったの5分、石のこと、好きになりそうです。
とは言え、今日の獲物はあくまでヒスイ。その特徴的な緑色を視線にロックさせ、波打ち際に広がる石浜のじゅうたんを手当たり次第まさぐります。(後々知ることになりますが、ここが成果を占う大きな分岐点でした)
“緑っぽい石”を確保。さぁこの中にヒスイは隠れているのでしょうか?怪しげに緑のボディを光らせる容疑者たちに淡い期待を募らせて、ぷるぷるとビギナーズラックの予感が全身を駆け巡ります。
腰が疲れ出したところで、ヒスイ採集は終了。“緑っぽい石”をざっと30個ほどビニール袋に詰めて、糸魚川駅前に移動です。出迎えてくれたのは『古事記』や『出雲風土記』などの古代文献に登場する神様「奴奈川姫(ぬなかわひめ)」。このお姫様が遠い昔にヒスイを用いて祭祀を行い、現在の新潟県南西部を治めたとの伝説が残されています。掌に乗せられている球体はもちろんヒスイ。姫の背後でE7系北陸新幹線が駆け抜けて行きます。
お昼は糸魚川名物のB級グルメ「ブラック焼きそば」の有名店を目指しましたが、まさかの不定休日の当日にあたってしまい断念。さらには日本海沿岸で猛威を振るうゲリラ豪雨に急かされて、駅前から伸びるアーケードに面したお蕎麦屋さんに避難です。港町に来たからには、お蕎麦ではなく刺身定食を頂きます。マグロやブリなどのメジャーどころに混じって透明でこりこりした食感の不思議なお刺身が。ヒレ?ナンコツ?得たいの知れない料理に旅情をかき立てられます。
雨もあがって午後三時、いよいよ結果発表の時間です。駅前から車を走らせること10分、糸魚川市が運営する「フォッサマグナミュージアム」で拾ったヒスイの鑑定をして頂けるとのことなので訪ねてみます。わくわく。
まずはフォッサマグナミュージアムに常設展示されている本物のヒスイや化石を見学。ナウマン博士が発見したフォッサマグナの成り立ちを一通り学び、山や海、石や化石に至るまですべては大地の恵みであることに改めて畏敬の念を抱いたら、いよいよ鑑定コーナーへ。
ヒスイだって何億年もかけて育んだ地球からのプレゼント、ようやく受け取る時間が近づいてきました。一回につき10個の石を学芸員さんに”無料”で鑑定して頂けます。そう、チャンスは10個!まずは己の目を信じ、ヒスイっぽい石を厳選します。そして、いざ鑑定へ。
「よろしくお願いします」
「石の金銭的価値はお答えできません」
「わかりました、気にしません」
選抜された石を丹念にルーペーで見やる様はまるでなんでも鑑定団。
蛇紋岩…
ネフライト…
石英…
次々と呼ばれる石の名前。そして最後のひとつ。
流紋岩…
終了。
結果、ヒスイはひとつもありませんでした。
学芸員さん曰く、ヒスイ探しをするのに「緑色の石を探してはダメ」とのこと。緑色に視線をロックさせていたこの眼では、ヒスイを手にする可能性はゼロだったと言うわけです。ヒスイの正しい見分け方は「白っぽい石を探すこと」。予習の大切さを身をもって学んだところで、フォッサマグナミュージアムを後にします。
残念ながらまたも運を使いそびれてしまいましたが、このキャリーオーバーした運はまたの機会に。最後に糸魚川の街中を散策していた時に見つけた句碑から糸魚川が生んだ江戸時代の俳人、高野九蚶の一句をご紹介。
「逢も不思議 逢わぬも夢の 時鳥」 高野九蚶
まぁ人生なんてファンタジーってことで。