春はけっこう嫌いな方です。あんまりいい思い出のない引越しのトラックをたくさん目にしなければならないのが辛い。パンダやアリさんが描かれたトラックの助手席に目を向ければダッシュボードへ脚を投げ出すバイトの姿。とにかく結婚と離婚と引越しは最低限に留めておくべき作業だと思います。
そして花粉症です。目鼻がかゆくそれにつられてやる気が出ない。黄砂やPM2.5のニュースを見るだけで目がかゆくなる思いです。ダイソンのTVCMすら見たくない。
そんな春の不調に今年新たに仲間入りしてくれたのが尾てい骨のデキモノ。もともと何の不具合も無くポツンと佇んでいたデキモノが、フルマラソンによる物理的な過度の擦れによって噴火してしまい、一ヶ月以上お風呂に入れずランニングもできない不便な生活を余儀なくされました。
世の中が桜を見上げているころ、ぼくは座ることもままならずに尾てい骨に全神経を集中させていました。2回も切開されて膿を出すタフな春でした。腫れた患部に突き刺す麻酔はひどく痛かった。傷跡を守る無菌ガーゼは思いのほか高額でガーゼとテープ代だけでも一万円ほどの出費です。こちらも痛かった。
この春、引退を表明した浅田真央さんに対してネガティブな発言をすると烈火のごとく叩かれるように、春なんて大っ嫌いと言えぬ雰囲気が春にはありますが、春は芽吹きの季節、事物が噴出する季節、のんびりと平穏無事に過ごせようもありません。誰の目にも天真爛漫に映る浅田真央さんがその裏で、トップアスリートとして自身と戦い続けたように、命を未来へと繋いでいく為の作業としての“戦い”が春にはあります。
そんな、生命が直面するであろう“春の戦い”を克明に記録した一冊が、陣崎草子さんの歌集「春戦争」です。
歌しか存じ上げていませんでしたが、陣崎さんはイラストレーターをなさっていてこの装画・装丁もご自身によるもの。こういう絵っていいですよね、“こういう”の部分がうまく説明できないのが残念です。
色の使い方、光りの感じ方、焦点の捉え方に絵を描く方らしさを感じました。視覚を通して記憶が頭に映し出す景色みたいなものでしょうか。
かけがえのないものみたいなふりさせて食卓の上転がすレモン
手のひらにひらひら輝く草原の遠く白シャツのぼくが走ってく
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ
ソックスを上げる時ふと見えていた永遠 黃バケツ並んだ廊下
孤独をしっかりと自覚できるからこそ成り立つ対象への魂の吹き込み方は好きです。普段づかいの外向きの視線ではなく、自分専用の内向きの視線が捉えたものたち。忌み嫌われがちなものこそが愛おしいです。
夜の街走りゆくときゴミ箱はブルーの獣あれらは仲間
カーテンの下の方の黒くなっているとこらへんを友だちとする
わたしこの陰毛とても大切にするわ名前は静(しずか)にするわ
ふと止まる、ふと立ち上がる、ふと座り込む、ふと走り出す。“ふと”をかき集めた時に舞い上がる沈殿していた思い。あきらめによく似た希望を従えて、それでも今ではない向こう側へ進むしかないフリーランス短歌。
生きることぜんぜん面倒くさいくない 笑える絵の具のぶちまけ方を
絵を描いて暮らしていると笑ってる割れた柘榴の紅が目につく
どうやって生きてゆこうか八月のソフトクリームの垂れざまを見る
軽く罪にぎって風の中をゆく さほどでもなき人生をゆく
自分と世界を結ぶものとして、“手”の存在が印象的でした。いつも見ている手。もっとも身近な相談相手。
仕事せず食事もせずにそれとなく手の甲舐めてみればしょっぱく
ひじの角質のみだれを見つめてる ここにとどまる理由のなさを
「思索型、と、いうらしい」関節の目立つこの手と長いつきあい
その手では捉えきれない春の命のエネルギー。漂う不安や無力感、それでも待ち続けるしかない、願うことをやめられない陣崎さんの執念がひとすじの光となって歌に鮮烈な色をもたらす。
つよい願いつよい願いを持っており群にまぎれて喉を光らす
閃光で見えないほどの未来でもキャップのつばの影ごしに見る
真っ白の皿に似て無知なぼくたちの喉に光が泡だってゆく
春戦争 いつまでもずっと開いてるぼくのノートに降りてこい、鳥
最後「月の海神」は春戦争を終えた世界の後日談のように思えてセンチメンタルに。月の地図探しに小便でも行こうかな、男の子だし。
そして次の春には、弁当もってピクニックにでも行こうかな。春、やっぱり好きだし。
才能も頼りもなくて性格もぞんざいであるわたしの弁当
※短歌はすべて歌集「春戦争」/ 陣崎草子 より引用しています。