年賀状と確定申告。フリーランス二大かったるい師走の作業が頭をもたげて憂鬱です。はぁ、毎年やってきたとは思えない耐性のなさ。社会人としてやらなきゃいけない系から逃げたくてフリーランスになったのにフリーランスの方がやらなきゃいけない系が多くて困ります。
会社員の頃は会社にやってもらったのに…なんて思い返してみても仕方ありませんが、ただ目の前にある仕事に集中できる環境は幸せです。過労だろうが何だろうが、お金は貰えますし文句のつけようもありません。そのうえ年賀状は会社が用意して、納税も自動的に終わってる、あぁ12月だけでも会社員に戻りたい。
それにしても、当時から年賀状の宛先リストを作るのは苦手でした。会社から提出をせがまれてもなかなか出せない。どこのどなたに出すのかを選んでエクセルにまとめる事がことさらめんどくさいわけです。大人の嗜み、またはビジネスマナーの一環として年賀状の大切さは理解していましたが、時はインターネットバブル全盛。1日に百通超のメールが飛び交う中、顔も知らない人との仕事も少なくなく、ヘビーに電話をしている相手とさえ「今年まだ一度もお会いしていませんね」なんて話していた当時です。
そんな毎日を過ごしていたものだから「年賀状なんて出す意味ないと思う」罰当たりな思考が完璧にできあがってしまいました。「年賀状なんて出さなくたって仕事はできる」そんな奢りさえも芽生えはじめた頃、目に飛び込んで来たのがこちらの広告コピー。
年賀状は、贈り物だと思う。
たった一枚の、小さくて、うすい紙。
それが年賀状です。
そこには何も入らない。
指輪も、セーターも、シャンパンも入らない。
でも、そこには、あなたを入れられる。
あなたの気持ちを、あなたの言葉を、
あなたの表現を入れることができる。
だから年賀状はすばらしい。
そう思いませんか。
大切な人のもとへ。
一年で、いちばん初めに届けられるプレゼント。
岩崎俊一 岡本欣也 / 日本郵便 2007年
見た瞬間に諸手を挙げて、うん、うん、そう思いますって服従させられました。社長の言葉より効きました。 『そうだ 京都、行こう。』くらいにすーっと染み入る静けさと優しさがありました。「年賀状を出さなれば」って焦燥感ではなく、今まで自分に出してくれた方への感謝の気持ちが湧いてきました。メールで簡単に済ませられる時代に“あえて”ハガキを買って“あえて”プリントして“あえて”コメントを書いて投函する作業は手間でしかありませんが、その手間こそが贈り物になるゆえんなんだと気付かされました。
年賀状を贈り物と位置づけたその視点の切り替え方が鮮やかで気持ち良くて且つ、贈り物文化が染み付いている日本人の耳には心地よく暖かな余韻も広がる。言葉に物語がある分、誰を起用しても素敵な広告に仕上がると思います。こんなコンセプトそのままのコピーを掘り出して世に出せたら気持ちいいだろうな、なんて今でも憧れのコピーのひとつです。
日本郵便にとって大きな財産とも言えるこのコピー、この輝きは生涯褪せることはないと思いましたが残念ながら今はもう使われていません。役割を果たし終えたのか、それとも売上が停滞したのか。いずれにせよもったいない。今年はどんな広告だろうと見てみると、いつも通りに嵐を起用して『そうか、年賀状書くか。』………。
よし!確定申告の準備するか。
ファンレターは、読者の子供たちが出してくれるなら。
一番のやりがい。
変な妖精みたいな帽子被った先生も言ってましたね。