予め採血した自己血をレース前に輸血し血中の赤血球を増やすことで酸素供給効率を上げる血液ドーピング。その疑いが東京オリンピック20キロ競歩の銀メダリスト池田向希選手(旭化成)にかけられたとのニュースが報じられました。
血液ドーピングと言えばご存知、自転車ロードレースの最高峰ツール・ド・フランスで前人未到の7連覇を達成したランス・アームストロング。病魔との戦いに勝利し競技に復帰したアームストロングが、超人的な強さでサイクルロードレースの本場ヨーロッパのライバルたちを尻目に頂点に立つ姿はアメリカ人の大好物、アメリカンヒーローそのもの。しかし、その奇跡のストーリーを支えていたのは長年に渡るチームぐるみのドーピングだった…というオチ。英雄へ一目散に駆け上がり“インチキ”へと真っ逆さまに転落したアームストロングのドーピング問題を追ったドキュメンタリー作品『ランス・アームストロング ツール・ド・フランス7冠の真実』がNetflixにあるではありませんか。件のドーピング疑惑報道に乗じて観てみることに。
ランス・アームストロングは、重度の癌に侵されながらも奇跡的な復活を遂げ、ツール・ド・フランス7連覇という偉業を成し遂げる。莫大な富と名声を手に入れた彼であったが、2012年10月にドーピング問題が発覚し、ツール・ド・フランスで獲得した全タイトルを剥奪され自転車レース界から永久追放されることとなる。「歴史上最も偉大なスポーツ選手の一人」と称された彼と、自転車レース界に蔓延する深刻なドーピング問題を追ったドキュメンタリー作品。
フランス一周約3,500kmを毎年7月に三週間かけて走破するツール・ド・フランスは世界的なスポーツイベントとして知られ、世界190カ国に中継されるなど多くの人を熱狂させています。それだけに膨大なお金が動くイベントでもあるのがツール・ド・フランス。ひとつのレース結果が後の人生を大きく左右しますから、勝ちたい選手と稼ぎたい関係者がうじゃうじゃいるのです。自転車のことをチャリンコと呼び、買い物用の移動手段としてママチャリなるものを生み出した日本ではにわかに信じがたいことですが。
自転車はスポーツではなく、足。欧米とはまるで異なる自転車文化を育んできた極東の地においてもツール・ド・フランスだけは別格でした。著名な自転車乗りといえば「競輪の中野浩一」一択であった時代、1992年からフジテレビが『英雄たちの夏物語』と題してツール・ド・フランスのダイジェスト番組を深夜に放映していたのです。番組のオープニングテーマ曲のT-SQUARE『CHASER』や窪田等さんの名ナレーションぶりに胸が高鳴った人も少なくないはずです。
そんな世界的スポーツイベントを7連覇した当時のアームストロングの年収は30億円だとか。富も名誉も有り余るほど手に入るツール・ド・フランスですが、それと引き換えにレースそのものは超過酷。三週間毎日のように200km前後を走り続けるわけですから、そのあまりにしんどさに古くはお酒を飲みながら走っていた選手もいたそうです。飲まないとやってられないのはロードレーサーもサラリーマンも同じ。やがてワインやビールでも紛れない苦痛は、薬物を用いて人間の限界値を上げる方向にシフトし、ツールとドーピングは切っても切れない関係となっていくわけです。アームストロングもチームからドーピングを勧められた当時を振り返り、「昔からある風習を壊さずに取り入れた」と語っています。
専属医師の管理のもと絶対にバレない禁止薬物接種を徹底し、同じくドーピングをしていたチームメイトには絶対的な権力を駆使し沈黙の掟をしいたアームストロングですが、ドーピングの進化に呼応するように進化を遂げるドーピング検査に次第に追い詰められていくわけです。嘘と検査と良心の三つ巴の戦いが長きにわたり続きましたが、元チームメイトたちの証言をきっかけに、ついに2012年アームストロングはすべてのドーピングを認めてジ・エンド。その後の転落ぶりはアルプスの山下りよりも速かったとか速くなかったとか。
個人タイムトライアルでトップタイムを叩き出し、アルプスやピレネーを舞台にした超級山岳ステージでも驚異的なアタックを仕掛けるなど、そのカリスマ的な強さに当時の僕もDVDや特集雑誌を購入しなければならない!と使命感を抱くほど興奮していましたので、それがドーピングによるものだと知ったときは大変にショックでした。一方で、長年に渡りドーピング疑惑を全否定してきたアームストロングが針の筵になる覚悟でドーピングを認め、世界中からの罵詈雑言を一身に浴びてもなお「でもいつか受け入れられるかもしれない、当時の状況を理解して、こう言うかも、彼がツールで7回優勝した男だと」と前向きに開き直る姿に、さすが超人と思わざるをえないのです。不祥事が明るみに出るや否や体調不良となり入院される方におすすめしたい『ランス・アームストロング ツール・ド・フランス7冠の真実』。健全に生きておられる多くの方々は観る必要は特段ございません。
世界的にアンチ・ドーピングの目が光るなか、選手ひとりでバレないドーピングを完遂することは極めて困難です。ドーピングとは、勝ちたい人の周りに稼ぎたい人が集まって初めてなせるもの。オリンピックの金メダリストが500万円しか貰えない日本の実業団に所属するトップウォーカーが全てを失うリスクを犯してまでドーピングをする理由はないのです。