もうここでも何度も書いているのですが、タバコをやめて健康のためにとランニングをはじめてから“42kmを走る”という狂気のスポーツに出会い、その楽しさから抜けられなくなって、3日間走らないとイライラしてしまうランニング中毒の症状が見え始めたのが6年前の冬。正月の箱根駅伝を茶の間で見るのが苦痛だった人間がマラソンを走るだなんて性格っていい加減なものです。

 

2012年に「せっかくランニングしてるし、せっかくだからマラソン大会に出てみよう!」とライトな決断をしてからは、1年に1度のお祭り感覚で参加するフルマラソンを“どうすれば速く走れるか”を考えながら過ごすことが日課となりました。どんな練習をして、どんなアイテムを装着して、どんなもの食べて、どんな体幹トレをすればマラソンを楽に走れるのか?その考える作業があまりにも楽しくて仕事への情熱さえも見失うわけです。おかげで中毒のピーク時には体重が10kgも減り55〜56kgに。両親にも病気を疑われました。

 

 

マラソンは最も脚の速い人が最も早くゴールテープを切る競技ではありません。試されるのは42kmをいかに快適に過ごせるかの総合力、脚が遅くても速い人に勝てる!それがマラソンの醍醐味、面白さでもあります。

 

ランニングを始めてすぐに20kmを走れたこともあって、鈍足の僕にでもイケるかもしれない!と、絵に描いたような錯覚をしたのが間違いでしたが、努力が確実に実を結ぶマラソンは性に合うらしく「こりゃ二度とタバコ吸わずにすむわ〜」と嬉々としたものです。

 

ただですね、目標タイムと練習量のバランスが取れているうちはヤリ甲斐MAXなのですが、幸せはそう長く続かないのが自然の摂理です。目標に比例して練習量も増え続けるばかり。例えばサブ4を目指すなら月間200kmを走ればクリアできる、サブ3.5なら距離走だけではなくスピード練習が必要だ、サブ3なら月間300kmが最低条件か?なんて具合に走る量もそれに伴う疲労も次第に僕の一日24時間ではまかないきれないものになるのです。

 

そうして、その時がやってきました。

 

「もうこれ以上、ランニングに割ける時間がない」

 

自分がマラソン選手ではなくただの人なんだなぁと、会社員ではなくフリーランスなんだなぁと、走ってばかりでは暮らせないんだなぁと。マラソンのタイムが飛躍を遂げる頃、僕の身体は抵抗力を失い風邪をひきやすく、食中毒になりやすく、年収はと言えば急降下の一途をたどるのでした。

 

ご覧ください、全5回のフルマラソン出走歴です。

【1】
2013年3月24日 古河はなももマラソン
目標:3時間50分
結果:3時間40分9秒 

【2】
2014年3月16日 古河はなももマラソン
目標:3時間30分
結果:3時間18分34秒

 

【3】
2015年4月19日 長野マラソン
目標:3時間15分
結果:3時間15分28秒

 

【4】
2016年4月17日 長野マラソン
当初の目標:3時間10分
現実の予想:3時間30分
結果:3時間31分18秒

 

【5】
2017年3月19日 板橋シティマラソン
当初の目標:3時間5分
現実の予想:3時間30分
結果:3時間36分59秒

当初の目論見では2020年までにはサブ3をクリアしている腹づもりでおりました。2015年の長野マラソンまでは目標に結果がついてきたのですが、2016年頃から雲行きが怪しくなりゴールタイムを下方修正せざるをえない状況に陥るのです。

 

 

ランニングで苦しいのと生活が苦しいのでは、やはり後者の方が断然キツく、その上、体調も悪いときたら“健康の為にはじめたランニング”に顔向けできません。走る快楽を求めて生活がボロボロになった2015年の中頃、もはやランニング中毒は自分の力ではコントロール不能になるレベルまで達していました。

 

ランニング中毒時代の筆者(この半年後に卵かけご飯で食中毒)

マラソンを嗜む方なら誰しもご存知のことですが、マラソンは走った分だけ強くなり、走りを止めた瞬間から弱くなる、頑張らないと現状維持さえ厳しい、蓄えが通用しない恐ろしいスポーツです。もしあの時の僕に「宝くじ当たったらどうする?」って不毛な質問をぶつけたら、家を買う、車を買う、のスタンダードな回答より前に、「仕事しないでサブ3を目指す」と答えるでしょう。

 

さんざん葛藤と通院を繰り返したのち、遂に2年前、STOP!ランニング!

 

ロキソニンと抗生剤を処方される日々にお別れを─健康の為にランニングを控えることにしたのです。

 

 

しかしです、簡単にコントロールできるほどランニング中毒は易しいものではありませんでした。身体は走る悦びを、頭はあの達成感を覚えています。走りたいのに走らない。そのギャップがそのままストレスになりました。(面倒くさい)

 

それもそのはずで、ランニングのように成果が数字になって表れるものを僕は他に持ちあわせていないのです。むしろ僕の仕事は黒子のような役割、会社員でもないですし働きぶりを査定されることも皆無です。99%を水面下でジタバタして顔を出した1%の部分に対して報酬を頂いています。そんな名もなき影の立役者たるスタンスもコピーライターって職業に憧れた理由のひとつなんですが。このご時世そんなスタイルでは通用しないよなんてドヤ顔で仰る方もいますよ、それは。

 

自尊心を慰める上で欠かせない材料だった走った距離と時間がなくなるわけですから自分がすごく中途半端でダメな人間であることがバレてしまうのです…自分で自分を褒めてあげられる理由がなくなるのです…荒れ果てた生活の始まりです。

 

まず毎週欠かさず見ていたNHK BSのランニング番組『ランスマ』の視聴をやめました。そして、それまで控えていたポテトチップスやメンチカツを食べまくる日々。渋谷のランニングショップからも足が遠のき、街を走るバッキバキのランナーを見て見ぬふりをする。たまにするジョギングを走り終えてもGARMINに記録された走行データを振り返ることもない、ランナーのメッカ、駒沢公園や代々木公園には見向きもしない、すさんだ日々です。

 

少しずつ体重も増え、5分で走れていた距離が5分半になり6分かかるようになりました。それまでは3日走らなければ気が狂いそうだった男が、今では1週間走らなくても平常心でいられます。ランニング中毒を完全に克服したようです。今、フルマラソンを走っても完走すら厳しいと思います。

 

 

ランニング中毒を克服した僕がこの一年間でジョギングした距離を振り返ってみます。

【2017年】

10月 34.6km
11月109.5km
12月 94.7km

【2018年】

1月 70.4km
2月 66.6km
3月 91.3km
4月 117km
5月 140.6km
6月 120km
7月 151km
8月 79.9km
9月 150.1km

合計:1,210.4km

 

最も張り切っていた頃は年間3,000km以上走っていたので約三分の一、風邪もひかずに病院に行かなくなったのも納得です。堕落した自分を見るようで直視したくなかった数字と向き合う気持ちになったのは、実はまたサブ3に挑戦したいなって思い始めたからです。結局お前ランニング中毒じゃん!ってことですが。

 

とは言え、収入不安定のフリーランスなのは相変わらずですし、宝くじが当たったわけでもありません。今回もまた生活を理由にランニングできないなんてことになりかねません。でも、それってどうなんでしょう、仕事とマラソンはそんなに相反するものでしょうか?仕事をとるかランニングをとるかなんて、天秤にかけて考えてばかりいましたが、ようやく気がついたのです。

 

マラソンを仕事にすればいいじゃないか。

 

盲点でした。

 

マラソン大会のキャッチコピー、原稿執筆、ポスターの制作などお待ちしております。全国津々浦々サブ4レベルの走力でお伺いさせて頂きます。

 

 

 


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